氷河期世代のぼやき

言いたい放題

「クビになるのはかわいそう」では社会は進歩しない

俺の実家では2010年で新聞取るのをやめたが、2010年になっても毎月新聞の集金が来ていた。早く口座振替にしろといつも親に言っていたが、「集金人の仕事がなくなるのはかわいそうだから」という理由で頑なに口座振替を拒んでいた。

 

そのときは特になにも思わなかったが、今になって振り返ると、氷河期世代はこの「クビになるのはかわいそう」という考えの犠牲になってきたように思う。バブル崩壊後に就職氷河期がやってきたのは、法律が既存の雇用を死守するようにできているから仕方ない面もあるが、バブルや団塊などの正社員の雇用を守るためだったんだろう。

 

だがちょっと待って欲しい。この「(正社員の)雇用を守る。」というのは表向きはいいことのように思えるが、社会の進歩を阻害することになりはしないか。不要になる産業や不要になる職業が発生する代わりに、新たに必要となる産業や職業が現れることを何千年もの間に繰り返してきて社会は進歩してきただろう。本当に、「クビになるのはかわいそう。」と言うのなら、今ごろ日本中の道路は舗装されず、ちょんまげに刀を差した武士がいばって歩いていることだろう。あるいは、国鉄労働組合員が、昼頃になってやっと出勤してきたかと思えば駅長を吊し上げ、ロクに仕事もせず風呂に入ったりキャッチボールをしたりして高い給料をもらっているのではないか。バブル崩壊から今まで、経済成長が止まり給料も上がらなかったことを、海外でどんどん給料が上がって行ったことと比較して「失われた30年」と良く言うが、人数の多い団塊世代の反発を恐れて改革に取り組まず、先送りしてきたことの結果ではないか。小泉や竹中は改革しようとしたものの、意あって力足りずなのかどうか分からないが、正社員の雇用という既得権にメスを入れることはできず、非正規雇用の拡大ばかりを招いてしまい、一方的に恨まれることとなった。

 

結局、既得権を持っている側がいつまでも既得権を維持できてしまうからこの国は経済成長せず、給料も上がらないのではないか。デジタル担当大臣なんていたって何の意味もない。だって、デジタル化をどんどん進めて人を減らそうとしたところで、人を簡単にクビにできないから、無駄は無くならず、デジタル化など進むわけがない。まずは、人を簡単にクビにできるように法律を変えることが先だろう。