氷河期世代のぼやき

言いたい放題

氷河期世代はなぜ生み出されたか

団塊ジュニアを直撃したのが就職氷河期だけど、「氷河期世代はなぜ生み出されたか?」と聞くと、決まって「そんなの、小泉・竹中のせいに決まってるだろ。」という答えが返ってくる。

 

氷河期世代の問題は結局 労働・雇用に関する問題だけど、普段は「アベガー」と言っているリベラルも、「アサヒガー」と言ってる保守も、なぜか労働・雇用に関する考え方はほぼ同じで、この点に関しては妙に意見が一致している。

 

しかし、氷河期世代は93年ごろから始まっていて、このころは小泉・竹中の登場前だったし、「小泉・竹中のせいで貧困と格差が広がった。」と言う意見も、小泉・竹中時代に失業率もジニ係数も改善が見られるから違うだろう。

 

実は俺も以前はそのような意見を真に受けて、小泉・竹中を蛇蝎のごとく嫌っていた時期があった。今から10年以上前、小泉・竹中の話題がテレビやネットで出ると中身も見ずに批判だけしていたものだった。

 

じゃあ、誰のせいで生み出されたのか? 俺は、政治のせいでもあるし、連合などの労働組合のせいでもあるし、国民自身のせいでもあると思っている。

 

日本は「労働者は弱者だから保護しよう。」という考えがあって、賃下げも解雇も認めない年功序列・終身雇用などの日本的労働雇用慣行はこの考えに沿ったものだろう。だからバブル期に人を採りすぎたことに気づいた企業は、この労働雇用慣行のせいで多すぎる社員をクビにすることができず、バブル崩壊後に慌てて新規採用を絞ることになる。

 

日本では「雇用を守るのはいいことだ。」と考える人が多いから、このような行動は当時としてはあまり非難されなかった。人が多いからと言って労働者をクビにしやすいように法改正すれば、「クビにするのはけしからん」と言って世論や労働組合の反発が大きかっただろうから、政治の側もそのような法改正はできず、下の世代の雇用を犠牲にして上の世代の雇用を守ることで問題の先送りを決めてしまった。そうやって既存の労働者の雇用は守られ、世論や労働組合の反発は避けられたが、一方で雇用にありつけなかった人がたくさんできてしまった。それが氷河期世代なんだけど、当時は「甘えてる。」とか「仕事を選びすぎだ。」とか「自己責任だ。」とか上の世代から言われたように記憶している。

 

会社の売り上げなんて来月どうなるかなんて分からないのに賃下げや解雇などの雇用調整を認めないのはおかしいと思うが、「それでも今まで日本はうまくやってきたじゃないか。」と言う人もいる。右肩上がりで経済成長している時期はそれでも何とかなったのかも知れないが、それは女性や下請け企業を雇用の調整弁として利用した結果なんとかなっていただけではないだろうか。

 

そうやって、景気が良かった時代に採用された「男性 大企業 正社員」と言った身分の人たちだけが守られ、そうでない人が排除されることになる。そうやって生み出されたのが氷河期世代なのだが、生まれた時期が悪かったというだけで著しく不利になるのはおかしいのではないか。生まれてきた本人には何の落ち度もないのに。